別に構わないと思います。良いではないですか。「儲けたい」のですから。お金に関わる情報、書籍にしても、その表題、目次、帯を眺めると具体的に200万円とか2億円とかの金額だけでなく、たった1時間でとか、たったひと月でとかの期間、勝率がどうのこうのとかまで記されたものが目に付くので、どうしてもそうした方向への意識付けがされてしまうものですから。内容にしても、そのようなものが多いですから。そうした一連のものを比較するなり取捨選択されて「儲けたい」を具現化されれば良いのではないかと思います。個人の選択ですから。
それでは何ですので(笑)ちょっと当方から質問させてください。
「儲けたいという気持ちは分かります。あなたは何を儲けたいのですか」
恐らくですね(馬鹿かこのジジイ。そんなの金に決まってんだろ......)だと思います。内気な方は声にせずそのようなことをつぶやいているでしょうし、はっきりと「金です」そうおっしゃる方もいるでしょう。
続けて、いろいろ質問してみます。
「相場で儲けたいという気持ちは分かります。どうすれば儲かるのですか。売買するから儲かるし、売買するから損するんですよね。どのような売買であれば儲かるのか、損するのか。そのどのようなというところのお話をしていただけませんか」
「乱暴かもしれませんが、上手に売買すれば儲かるし、下手に売買すれば損すると言えるのではないですか。上手、下手。いろいろな捉え方があると思いますけれど、あなたはどのような売買を上手な売買とされておられるのですか。下手な売買でも、構いませんが、お話いただきたい」
「プラス決済で終えれば上手な売買。マイナス決済であれば下手な売買。本当にそうなのですか。あなたが無尽蔵に資金を用意できるのであれば、そもそも相場に関わる必要はないでしょう。たくさんの資金があるのであれば、上手も下手も関係なく、ただ建てて、時間がいくらかかろうと何年でも何十年でも建て玉を持ち続けて、時には逆行で数百万円、数千万、数億円のマイナス計上状態になろうとも、納得できるプラス金額となった時に決済すればいいのですし。そうした豊富な資金を用意できるのであれば上手も下手も考える必要はないですよね」
「あなたのおっしゃるその上手な売買はあなたの資金に見合ったものですか。資金だけではなくて、あなたの趣向に合うものですか。どこかで何らかの線引きをしないと今の起こっている事柄に対処できない単なる空想のお話になりますよね」
「いろいろあると思いますので、例えば、年間通していくらの金額を稼ぐお考えなのでしょうか。月割り、週割り、日割りではいかがな数字になりますでしょうか。用意できる資金はいかほどですか。固定ロットとして、大雑把に、何pipsの獲得が前提となりますか。こうしたことは売買の仕方ではなくて、儲け方になりますよね。売買の仕方と儲け方。密接に関連し合うものですけれど、分けて考えられてはいかがでしょうか」
「例えば、日割りでpips数を算出したとしても、相場があなたにとって常に望ましい方向へ動くとは限りませんよ。望ましくない方向への勢いが出てきた場合、望ましくないとする判断はどのようにされるのですか」
「売買の仕方が儲け方に関わるし、儲け方が売買の仕方を制限することに関わりますよね」
「売買の仕方がどうであれ、結果としての産物が儲け方に関わる。そうすると、売買行為があってからの結果となるのですから、大切な覚書ですよね。ですけれど、その売買行為というのは予定、或いは、目安とされた儲け方に制限を加えられるということも、大切な覚書ですよね。あなたは、どうお考えになられますか」
「賭け、ギャンブル、バクチ。日本語、英語、その他、また、いろいろな状況で表現されるものですから、その解釈が様々に異なる場合があります。即時生命に関わるようなこと、警察のご厄介になるようなこと、他人様にご迷惑かけるようなこと、そうした賭け、ギャンブル、バクチはお止めいただきたいですが、そうでないのであれば、何でも経験、体験されることが大切と思います。どうしてかと申しますと、それが学びの種になるからです」
「学びの種にもならない行為。例えば、それは単なる刹那的なスリル、快楽、喜怒哀楽に訴える感情を産出するものであったり、自己満足、自己充足、自己正当性を満たすものであったりするのではないでしょうか。残念ながら、そうしたものであるなら、自己の栄養素にはなりますが、実質とすべき学びとは異なると考えられませんか。そうした栄養素が必要ではないと言っているのではありませんよ。時には必要なものですから。ただ、なんちゃら欠乏症のように、そればかり、実にはならない栄養素ばかりを欲する癖がついてしまうと、無意識に摂取し続ける危険性が高まります。過剰摂取であの世逝き(笑)極端ですが、そういう事態も考えられるのです。同じものであっても、栄養素になったり、毒素になったりするのです」
「学びの種としましても、誰にとっても等しくに学びの種であるとは言えません。公倍数的なものであったり、単独、個別的であったりします。当人が気付いていない、種としては在るけれど、その種を学びの種とは認知していないということも、当然あります。大切なのは、先ずは自分なのですから、自分を大切にすることです。相場に関わり様々な売買行為を繰り返してきたけれど、私には何にも学ぶところがなかった。そうであれば相場とは違う世界、たくさんの世界がありますから、何らかの世界で、また歩き出せば良いのではないでしょうか。相場だけが世界ではありませんから。気が向けば、また戻ればいいのですから」
「儲けたいという欲を上達したいという欲に変えてもらえませんか。上手に買って、上手に売る。上手に売って、上手に買う。上手に勝って、上手に負ける。上手に負けて、上手に勝つ。9勝1敗で大負け。9敗1勝で大勝ち。相場ではあるあるです。何度も9敗1勝で大勝ち、そうしたことを繰り返されている方は上手に負けることを徹底されています。そうした方々にとって、9敗1勝で大勝ちというのは、奇跡でも何でもなくて起こり得る普通のことのひとつなんです。当方はあまり勝ち負けという言葉は好みではないのですが、勝ちになるのか、負けになるのか、それは常に分からないものなのです。勝ちは勝ちでいいですから、大きく負けるのではなくて、小さく負けることです。1千万円で大負けとする人もいれば、1万円で大負け、1千円で大負け、或いは、マイナス30pips。マイナス10pipsで大負けとする人もいます。様々です。大切なのはあなたですから、あなたが決めることです。あなたがその線引きを行えば良いのです。その線引きに、正しいも間違いもへったくれもございませんでしょう。個別であるべきものなのですから。そうするとですね、極端に思われるかもしれませんが、どこで売買してもいいのです」
「どこで売買してもよい。これは誤解を招く言い方になりますので、言い換えます。あなたの線引きに合致するのであれば、或いは、あなたの許容範囲内であれば、どこでもよい。そう解釈されてください。売買の結果うんぬんは別にして」
「儲けたいというその欲。その欲をどうのこうのするのは難しいと思いますので、上手くなりたいという欲に変えてみてはいかがでしょうか。随分と変わるような気がしませんか。相場と対峙する、そうした、こころ構えが変わりそうな気がしませんか。堅苦しいと思われるかもしれませんが、そんなことではありませんので。まぁ、ちょっと考えてみてくださいね」
お望みとなる答えではないと思いますけれど、参考となれば幸いです。
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