IなりNの小話 相場のそもそも論

「IなりNの小話」「売買領域とInariNと値動き」「線と価格」 各Kindle版。
「InarN Basic_Plus」「InariN SP」 各Metatrader4版。
答え合せができる売買の参考例。

2017年2月5日日曜日

「i0」

 当方の希望的解釈のひとつです。ひと欠けらの参考としてください。それぞれのいろいろな解釈があって、全てはよろしいのではないかと思っています。こうした「i0」を考えたことがないのであれば、一度はそうした考えに触れておくのも、いつか役に立つ、かもしれません(笑)

 それから「i0」の前提としているものを添え含みください。それは、独力です。売買当事者であるあなたの力が必要であることです。その個人的、個別的な力の軌跡を自らが客観的に評価できるように、自らの売買行為の答え合わせができるように、独学ができるということに気付いてもらいたく、参考書籍としての2点を提出しています。その独力は売買当事者であらんとする意志を内包した今のあなたの独力で十分なのです。不足している、そんなものはありません。あなたは既に持っているからです。「既に持っているもの」=「既に与えられているもの」としても良いかと思いますが、そこから始めれば良いのです。

 状態、状況というのは変わり得るものですので、変化の程度も変化が発生する頻度も様々です。それらのことをあれこれ分析、評価、解釈を付与する人々も様々です。対象とする状態、状況が複数であれば、それらの関連性も含めますと尚更に様々なので、そうしたことをあれこれ文字や記号や数値で薀蓄たれてもさしたる重要性はない場合が、残念ながら、多いのです。

 独力、それは大きく強いものもあれば小さく可愛らしいものもあるのです。どれもが素晴らしいものなのです。大きくあろうが小さくあろうが、強かろうが弱かろうが、今のそれで良いではないですか。これから先の積み重ねとする行為によって、大きくもなろうし、強くもなろうし、成長するものであろうし、育まれるものでもあるのですから。

 但し、この「但し」が今回のお話したいことになります。

「i0」の「i」を大文字の「I」にして「0」を「可能性」という言葉に変えてみます。「i0=私の可能性」とします。どのような可能性であるのかということは別にして、知覚、認識、認知できたのであれば、その可能性は在ると言えます。知覚なければ、その可能性は在るとは言えません。五百円玉が一枚、そこに在る。そう認知できた方であれば、その五百円玉一枚は在るのですけれど、そこの五百円玉一枚に気付かないのであれば、五百円玉は無い、在るけど無い、そうなります。五百円玉ではなく「恐怖」というのがそこに在るとするならば同じように解釈できるものです。「幸せ」も同じです。何を持って「恐怖」とするのか、何を持って「幸せ」とするのかといったことは別にして。

 思い起こしていただきたいこと、それは常に対象は在るということです。対象はそう在るのですけれど、知覚が伴わない場合、その対象は在るけれど無い。そうなりますと、対象は常に在るけれど闇に溶け込んでいるような状態であって、見えないもの、聞こえないもの、分からないもの、ないないないものが在る、と表現できるでしょう。今は見えないだけ、今は聞こえないだけ、今は分からないだけ、とも表現できます。

 一方、対象は常に在るというものではないとすると、どうなるか。ないものはない。そうなってしまうでしょう。知覚できたものだけを在るとして認める。そういうことになってしまうでしょう。

 知覚できたその対象をどう判断するのか、どう解釈するのか。これは個別であって、押し付けるものでも、押し付けられるものでもないはずです。寒いからおでんにしようと判断する人もいれば、寒いから尚更に冷やしうどんにしようとする人がいても、よろしいではないですか(笑)

 もったいない見方、考え方はどちらでしょうか。1-1=0 この「0=可能性」を無いとするのか「0=可能性」が在るとするのか。

 誤解なくいただきたいのですが、左辺だけ、或いは、右辺だけの解釈、付け加えると「-」や「=」という記号の解釈で終えるのではなくて「1-1=0」というそのものの捉え方、解釈が大切だと受け取ってもらいたいのです。ここらのお話はまたの機会に恵まれれば追記したいと思います。「但し」に戻ります。

 独力を育むには何らかの知覚があってこそです。知覚を得るにはこの「但し」が必要です。それは何なのか。大変に良い記事を発見しましたので、是非、参考いただきたいです。以下はそのリンク先です。

許可いただけた後、記します。いただけなかったら、ごめんなさい。

許可いただけましたので以下に記します。
 「莇生」の研究!
「我々は、未来の子供たちから、土地を借りて生きている」豊橋市内山川のホタルのおじさん話、感動した!
http://az-machiken.seesaa.net/article/446677207.html

 お読みいただいた後で、精神論、根性論のように恐ろしいほどの単純さでもって分別しないでくださいね。視点が飛んでちんぷんかんぷんになるかと思いますが、もし単なる精神論、単なる根性論に過ぎないとするのであれば、それは「1-1=0」を精神論、根性論とするのと同じになるのですよ。

 リンクさせていただきました文中にございますように、その答えは「熱意」です。技術、テクノロジーだけではダメなのです。相場においても同じです。テクニック、手法だけではダメなのです。技術、テクノロジー、テクニック、手法が必要ではないと言っているのではありませんので、誤解なく。

 熱意はあるのにいつまで経っても結果が芳しくない。そうなるのは、その取り組み方が悪い。そのやり方が悪い。そもそもの考え方が悪い、間違っている、と言えます。ですから、良き師匠、良き先生、良き仲間、良き文献、書物との接触は非常に大切であると言えます。良きとする人、物との接触はあなたの熱意を込めた数々の積み重ねに左右されます。

 お金にはならない、結びつかない人生になるかもしれませんが「金の切れ目が縁の切れ目」のような人生よりも、透き通った風が吹くような爽やかな人生を送りたいものです。

 キーワード

 私 考え方 可能性 熱意 積み重ね 健康(時間はかかるものであるから) 取り組み方、やり方

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