見た目は変わりないですが、中味をあれこれ変更しました。後で、ちょこちょこ改良含めた変更を加えることが容易であるようにしてみました。正常に表示されるのを、今朝方、確認できました。いつものところへ、置いていますので、入れ替えてください。
このブログにて返事を書けば良いとのことでしたので、以下に記します。
クラスター爆弾を製造する企業に対して、投資なり融資なりを行い関係を持っている世界各国の金融機関をNGO(非政府組織)団体が発表という報道がありまして、日本の団体、会社、企業もそのリストにあるのですが、そうした爆弾、兵器を製造している会社、企業であっても、儲かるのであれば、投資、投機を行うのか、端的に、そうした会社、企業の株を買うのか。そういうご質問内容でした。それに対してのお返事をここに記すことにします。
当方は何もしません。理由は簡単。儲かるとか、なんちゃらとか、そういうのは関係ないです。当方のまいるーるに該当しない。以上です。終り。
ご質問いただいた方の文面ではお怒りの気持ちが混じっているようにも感じられましたが、あまりイライラと言いますか、気にしないのが良いと思いますよ。そうした会社の株を買えとか、お金を提供するように命令した方々に責任があるのですから。日本国民が兵器会社を応援し世界の一般市民を苦しめることに加担している。そのように指摘される方々もいらっしゃいますが、それは違うでしょう。国民の同意を得た上でそうした売買行為に及んだのではないのですから。ちなみに当方へは何の連絡もなかったですよ(笑) 多分、あなたにも「この会社、応援してもいいかな?」そんなお伺いは事前になかったはずです。ですから、買えと命令した方、発注作業を行った方、注文をこなした方、お金を提供しろと命令した方、一連の書類にハンコ、署名をした、そうした方々に責任があるのです。日本という国は兵器会社を応援(お金や人を提供する)するのであるから、その国民はろくでもない民であるからやっつけてしまえ! これは、先程の責任の在り方の捉え方同様、メチャクチャな考え方です。やっつけるべきは一般市民、国民ではないでしょう。相手が違います。プログラムでも人工知能でもいいですが、それが売買を決定したというのであれば、そうしたものをつくった方にも責任は及びます。儲かる儲からない、そうしたことではなくて、そうした会社を売買対象銘柄に選ぶプログラムを組んだという責任はあります。上からの命令でどうしようもなかった。気持ちは分かりますが、次はどうするんですか? 一度でも弱みを握られるとどうなるかはご存知のはずです。まともな上司であれば良いですね。当方は恵まれていましたので、幸いでした。やさしい上司でしたよ。「アイツはバカだから、構うな!」と放置してくれました(笑)
残念なことを追記させてもらうと、当方が応援したいなと思う会社よりも、応援したくない会社の方が、年々増えているという事実。これは確かなこと。ちょっと寂しいです。
ついでに追記として「選民」についての解釈。
ばいぶるにもよく出てくる単語ですね。いろいろな版があり、いろいろな言語で記されていることは皆様もご存知のはずです。何語が原典なのかも怪しい(笑)とすら思っている当方ですので、さらりと読み流してくださいね。
当方のお好みは「エノク書」です。物語としてみても、おもしろいです。それほど長くはないのもお気に入りです(笑) これを知らないで他のを読んでも外れてしまう方向へ行ってしまうのではないかと思っています。そのエノク書にも「選民」という単語は出てきます。当方あれこれちらちらとその他の書も眺めていましたが、どうもこの「選民」の解釈は恣意的に、ある意図があって「選ばれた民」と解釈できるように、書き換えられたのではないかと感じています。要は「選ばれた民」とした選民思想ではなく、「選んだ民」という解釈、つまり、自らの意志により何かを選んだ人々を「選民」と解釈するのが実は正しいのではないかと思うのです。焦点となってくるのは何を選んだかということになります。ジーザスそのものであっても良いのでしょうし、義であっても、善であっても良いのでしょう。そのように思います。ただ、悪を選択したり、授かり物を悪用するようなことで自分の周りに混乱、混沌を引き起こし、哀しみの声を必要以上に生み出すことを熟知していながらも仕掛けることを選んだ方、そそのかした方、いらっしゃいます。また、そうした仕掛けに加担した方もいらっしゃいます。そうした方々においては、ある時期が来れば、天使さんたちによって連れ去られて裁きを受ける場に立つという流れになるのでしょう。主、或いは、大いなる意志が裁きを人にも与えるので、人は人の裁きに関与しなくてもいいのだよ。「エノク書」を読みますと、そのように思うのです。
裁きうんぬんは別にして、売買も同じであって、選択を行う、選ぶというのは、銘柄も売買作戦も、極めて大切なことに直結するものなんです。関係なさそうに思うでしょうが、老いれば嫌でも分かってきます。長生きはするものです。少しは賢くもなりますので(笑)
売買だけでなく、日常の暮らしにおいても、選ぶということ、選択をするということに、もっと意識を注いでいただきたいです。選択に迷った時、相場における売買は非常に限られた事項(銘柄、いつ、いくらで、どれほど買う、どれほど売る、しばし休む)程度しかないので省きますが、自分だけのことではなくて、自分の周りにいる人々のことを思い浮かべたり、人でなくても動物でも生物でもいいし、喜んでくれそうな気がする方を選んでみてください。思い違いであったとか、単なる勘違いであったとか、いろいろそうした副産物がたくさんできることでしょうし、それらが肥やしになりますから。当時は真剣そのものであったのですが、今では単なる笑い話になってるというそういう出来事が、長生きした分、当方にはたくさんあります(笑) ちなみに、当方は何かの宗教とされるものの信者ではありませんので。信じる信じないというお話になるのは好みではありません。信仰心とやらが無いのかと言えば無いのかもしれませんし、在るのかもしれません。分かりません。ただ、ありがとうと言いますか、感謝できるこころは在ります。
来月早々、畑作業もがんばります。庭のゴーヤは元気です。今年も香るカーテンをよろしくです。終り。
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