時々、そうしたことを、なぜか、質問されることがあります。はっきりとは言えません。分からないので。垣間見せてもらったようなことはあるのですが、何ともそれは幻のようでもあり、錯覚のようでもあり、医学的には一時的な不具合からの何とかに該当するのかもしれません。
そうした出来事があっていろいろ考えたり思うところがあるのですが、どうやらそうした世界はあるようなんです。あってもいいな。その程度よりは、もう少し強いです。
ちょっとした事情があって、3歳になる男の子を預かって一緒に生活していた時期がありました。 当時彼は3歳ですから、座布団が布団代わりになるほどの可愛さでした。実際、真夏日のお昼寝は座布団の上で彼は寝ていたのですけれど(笑) 今は、早いものでランドセル背負った小学生になっています。ジジイなんですが、父親代わりをさせてもらった楽しい日々でした。
当方、なかなかよくやったと思いますよ。寝かし付けたし、お散歩もしたし、おむつの交換もしたし、お風呂も一緒に入っていたんです。お風呂に入ってる時にその彼がお話してくれたんです。
「僕ねー、上から見てたんだー」
「何を?」
「お姉ちゃんとー、お母さん」
「何時の話?」
「......」
思い出そうとするような表情だったけれど、そこは控えて、
「何、見てたの?」
「お姉ちゃんが生まれるところ」
「......へー、お姉ちゃんが産まれるところを見てたんだ」
「そうだよ。 お母さんのお腹からだよ」
びっくりなことにそれは確かなこと。彼のお姉ちゃんは帝王切開でした。
「そうか。お姉ちゃんが生まれてくるのを見てたんだ」
「うん。お母さん、だーい好き」
「そうだね、○○はお母さん、だーい好きだね」
○○に質問してみました。
「あのさ、どうしてさ、お姉ちゃんが先で、○○が後なの?」
「......」
思い出せないような表情の○○。
「○○はお母さん、だーい好きなんだ」
「うん、だーい好き。お母さんとお姉ちゃんとこに行きたかったんだ」
「そうか、良かったな。おっちゃんも○○が来てくれてうれしいよ」
○○は自然分娩でした。お姉ちゃんは弟である○○が無事に産まれたと分かった時、待合室で喜びが溢れ出したかのように、大きな声も出して、
「生まれたー! 弟が生まれた-!」
部屋の中をぐるぐると駆け回っていました。
そうしたことがあったので、○○が自分のお母さん、お姉ちゃんを大好きと言うのもすごく良く分かったのです。二人とも、とても可愛いです。
自分自身のことも含め、他にも似たようなことがお話としていくつかあるのですが、どうもこの世とは異なる世界はあると考えた方が正しいように思います。次元の異なる世界です。肉体を持っている間だけがこの世であるような、そんな気もします。端的に、何が言いたいのかと申しますと、時間という尺度を用いるのであれば、この世の時間数よりも、あの世、その世、どの世の方が長いんじゃないか、そんな気がするのです。
生まれ変わり。それもあるのかもしれません。しかし、それは何か特別な理由があって、それが認められた時にだけ為されるのではないかと思います。つまり、認められるべき特別な理由がない場合、この世で再び肉体を持つことはなく、あの世かその世で時が来るまで待つことになっているのではないかと思うのです。そうしたことを思うので、人生は一度きりが原則。この世で悪いことをすればあの世かその世は悪いことをしたことに見合う場所で時を過ごす。百年か千年か分かりませんけれど。そのように思うのです。
バランスと言いますか、見合うものが用意されるようになっている。この世の目では見えない培いものがあの世では見えるよう用意されることになっている。
肉体が元気で若い時はこんなことなんて考えもしなかったのですが、自身での手痛い経験、体験、年の離れた○○と過ごしてからは意識するようになりました(笑) これも巡り合わせなのでしょうかね。
そうしたことも背景としてありますので、自分で客観度の高い答え合わせができることが大切と考えるのです。間違い。それは当然あります。間違うから、失敗するから学びになるのですから。学びに変えるエネルギーがあれば全ては学びにつながるものです。辛い、苦しい時、多くの人はエネルギー切れなんだなと思うかもしれませんが、そうではないのです。磁石で言えばN極の力とS極の力です。プラスの力とマイナスの力でもいいです。互いに異なるものでしょうが、エネルギーそのものは同じであるのです。そのように考えてみてください。逆転の発想なんてのもマイナスの力から出て来るものではないでしょうか。プラス、マイナスうんぬんよりもエネルギーはあるはずです。小さいエネルギーであっても何かとの接触、キッカケがあればエネルギーは増幅、増大されるものです。
いつも正しい答えでもって、行動もできる。そんなことは大変に難しいことです。間違いは前提ものです。考慮すべきものです。ですから、どこで間違ったと自分で気付くことが容易であり早目に対処できれば小さなケガ、キズで助かるものですから、事前に対処を用意できていれば乗り越えることもさほどの困難にはならないのです。身体機能であれば免疫力なんかも含まれるでしょう。
実際の現実における暮らしにおいては様々なことが、予期せずといったことが起こるものですので、対処の術、その時点では当人にその持ち合わせがない場合もあったりします。途方に暮れることも十分に有り得ます。
相場における売買においては、ご存じのように、途方に暮れないよう事前に対処を用意できるのです。比べると、随分、単純だなと思いませんか。単純だから簡単とは言えないですけれど(笑)
損するのは簡単と思うのであれば、儲けるのも簡単なはずと思ってみてください。時にはね、
「こんな単純なことをナニ小難しくエラソーに言ってるんだ。バカかオマエは!」
若いのであれば、これくらい言ってもバチは当たりませんよ(笑) 冗談ではなく、それくらいの気持ちがある方は上達も早いです。資金を消失させるのが早い場合もありますけれど。
「ごめんなさい」
気の弱い当方ですので、先に、謝っておきます(笑)
今回の選挙結果、この世でエライ目に遭うのは当方のような者かもしれませんが、あの世でエライ目に遭いそうなのがニコニコしてますね。 当方は、もうかれこれ随分とこの世でエライ目に遭いましたので、勘弁願いたいのですけれど(笑)
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